辞めた従業員から労働局に「あっせん」を申し立てられ、ある日突然、労働局から通知が届く。「うちが何か違反したのか」と真っ青になる社長は少なくありません。まず安心していただきたいのは、通知が来たからといって、会社の違反が確定したわけでも、処分されるわけでもないということです。そして意外かもしれませんが、あっせんへの参加は強制ではなく、参加しなくても罰則はありません。
ただし、「罰則がないなら無視していい」と考えるのは危険です。あっせんで穏便に解決できたはずのトラブルが、労働審判や訴訟に発展して、支払う金額の“桁”が変わってしまうことがあるからです。国の統計では、労働局への総合労働相談は令和6年度で120万1,881件と5年連続で120万件を超え、あっせんの申請は3,867件で前年度比4.9%増。どの会社にも他人事ではありません。本記事では、動画の内容をもとに、①あっせんとはどんな制度か、②どんなトラブルで使われるか、③労働審判・裁判との違い、④通知が届いたときの正しい対応──を整理します。
参考:厚生労働省「令和6年度個別労働紛争解決制度の施行状況」/同・施行状況資料(PDF)
1. そもそも労働局の「あっせん」とは、どんな制度?
あっせんの通知が届いたということは、労働基準監督署の調査のように「会社に違反の疑いがある」と国が判断した──そう思われがちですが、答えはバツです。あっせんは、会社を調査したり処分したりする手続きではありません。会社と労働者の間のトラブルについて、労働問題の専門家が間に入って、“話し合い”での解決を目指す制度です。
根拠になっているのは「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律」(平成13年法律第112号)です。この法律の5条に基づいて、都道府県労働局に置かれた紛争調整委員会が、労働局長からあっせんを委任されて行います。間に入るのは労働局の職員ではなく、あっせん委員と呼ばれる弁護士・大学教授・社会保険労務士などの労働問題の専門家です。
手続きの流れは、多くの場合、労働者が総合労働相談コーナーなどを通じてあっせんを申請 → 労働局長が紛争調整委員会にあっせんを委任 → 会社と労働者の双方に通知が届く → 期日にあっせん委員を交えて話し合う、という順番です。制度上は会社からも申請できますが、実際は申請人の98.6%が労働者。つまり、通知を「受け取る側」になるのは、ほぼ会社です。
POINT:あっせんの特徴は「無料・非公開・スピード解決」
利用は無料、手続きは非公開、そして処理も速く、令和6年度は処理が終了した事案の76.5%が2か月以内に終わっています。会社にとっても、「静かに・早く・安く」トラブルを終わらせられる入口なのです。
参考:e-Gov法令検索「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律」/厚生労働省「個別労働紛争解決制度」
2. どんな労働トラブルで使われる?
令和6年度のあっせん申請内容のトップ3は、1位が「解雇」で792件、2位が「いじめ・嫌がらせ」で716件、3位が「雇止め」で433件。続いて「労働条件の引き下げ」399件、「退職勧奨」344件です。つまり、辞めさせ方をめぐるトラブルと、ハラスメント。この2つが定番です。
一方で、対象にならないトラブルもあります。あっせんの対象は、あくまで「個々の労働者」と「事業主」の間の紛争です。労働組合と会社の集団的な紛争や、労働者同士のトラブルは対象外で、労働委員会など別の手続きになります。
実際の中身をイメージするために、厚生労働省が公表している令和6年度の実例を見てみましょう。入社間もない社員を解雇して「不当解雇だ」と賃金6か月分・162万円を請求されたケースでは、話し合いの結果、解決金10万円で合意。「3年後に正社員にする」と言われていたのに雇止めされたケースでは、150万円の請求に対して、給与2か月分の50万円で合意しています。請求額そのままではなく、あっせん委員が間に入って現実的な金額に落ち着くことが多いのです。
3. 労働審判や裁判とは何が違う?
一番の違いは、あっせんは「話し合い」、裁判は「白黒をつける手続き」だという点です。整理すると次のとおりです。
- 担当者:あっせんは弁護士・大学教授・社労士などの労働問題の専門家/裁判は裁判官
- 費用:あっせんは無料/裁判は印紙代や弁護士費用がかかる
- 期間:あっせんは76.5%が2か月以内に終了/裁判は1年以上かかることも珍しくない
- 公開性:あっせんは非公開/裁判は原則公開
- 強制力:あっせんはなし/裁判の判決にはあり
- 参加義務:あっせんは自由/裁判は訴えられたら原則対応が必要
ここが今日の核心です。あっせんには強制力がありません。あっせん委員から解決案が示されても、会社も労働者も受け入れる義務はなく、参加するかどうかも自由です。一方、裁判は判決に強制力がありますし、訴えられたら原則対応せざるを得ません。無視して欠席すれば、相手の言い分どおりの判決が出てしまうリスクがあります。
その中間にあるのが労働審判です。裁判所で行う手続きで、労働審判法に基づき、特別の事情がない限り3回以内の期日で審理を終えます。スピードは速いのですが、出された審判は、2週間以内に異議を出さなければ確定して、裁判上の和解と同じ効力を持ちます。件数も少なくなく、令和5年は労働審判が3,473件、労働関係の民事訴訟が3,763件(最高裁判所調べ)。あっせんの3,867件と、実は同じくらいの規模感で使われています。
会社目線で言うと、あっせんが向いているのは、金銭的な折り合いをつけて早く・静かに解決したい場合です。無料で、非公開で、2か月程度で終わる。この入口を自分から閉じてしまうのは、実はもったいないのです。
4. 会社にあっせんの通知が届いたら、どう対応する?
「無視」を選ぶ会社は半分近く──でも紛争は消えない
不参加でも罰則はありません。実際、令和6年度の処理結果を見ると、双方が参加してあっせんが開かれたのは48.9%。45.4%は、当事者の一方──多くは会社側です──が参加せず、打ち切りになっています。半分近くの会社が“無視”を選んでいる計算です。
ここに落とし穴があります。打ち切りになっても、トラブル自体が消えるわけではありません。あっせんまで申し立てた労働者は、それなりの不満と覚悟を持っています。門前払いにされれば対立はさらに深まり、次は労働審判や訴訟に進む可能性が十分あります。しかも法律は、その流れを後押ししています。個別労働関係紛争解決促進法16条では、あっせんが打ち切られた場合、労働者が打ち切りの通知を受けてから30日以内に訴えを起こせば、時効との関係では、あっせん申請の時に訴えを起こしたものとみなされます。つまり、無視しても時間稼ぎにすらならない設計なのです。
対応を誤ると、金額の「桁」が変わる
ここが経営判断のポイントです。先ほど見たとおり、あっせんの解決金は数十万円規模の実例が多い。ところが、労働政策研究・研修機構(JILPT)の調査(2020〜2021年に地方裁判所で終局した事案の分析)によれば、労働審判で解決した場合の解決金の中央値は約150万円、訴訟の和解になると中央値は約300万円です。争いが長引くほどバックペイ(解決までの賃金相当額)が積み上がるからです。あっせんの段階なら数十万円で終わったかもしれない話が、対応を誤ると10倍になり得る。この“桁の違い”を知った上で、参加・不参加を判断してください。
参考:労働政策研究・研修機構(JILPT)リサーチアイ第78回「裁判所における解雇の金銭解決の実態 令和編」
通知が届いたらやること3ステップ
- 相手の主張と請求額を正確に把握する。申請書に書かれた「何を不満として、いくら求めているのか」を読み込みます。
- 会社側の事実関係と証拠を整理する。雇用契約書、就業規則、タイムカード、指導記録、メールやチャットのやり取り。ここで「会社としてどこまで反論できるか」「どこにリスクがあるか」が見えてきます。
- 解決ラインを決めて期日に臨む。反論があるなら、無視するのではなく、参加した場で堂々と主張すればよいのです。参加したからといって、あっせん案を飲む義務はありません。ちなみに、双方が参加した場合の合意率は59.3%。テーブルに着けば、6割は話し合いで決着しています。
POINT:弁護士に相談するタイミングは「通知が届いた日」
あっせんは期日までの時間が短いため、参加すべきか、いくらで折り合うべきか、合意書にどんな条項を入れるべきか──この判断を短期間でやり切る必要があります。特に合意書は重要で、「本件に関し、今後一切の債権債務がないことを相互に確認する」という清算条項を入れておかないと、お金を払ったのに後から別の請求が来る、ということにもなりかねません。実務では「通知を1週間放置してから相談に来る」会社がとても多いのですが、その1週間がかなり痛いのです。
まとめ
- あっせんは、労働問題の専門家が間に入る“話し合い”の制度。無料・非公開で、通知が来ても会社の違反が確定したわけではない。
- 参加は自由で罰則もないが、安易な無視は禁物。45.4%が不参加で打ち切られているが、紛争は消えず、労働審判なら中央値約150万円、訴訟なら約300万円と、金額の桁が変わるリスクがある。
- 通知が届いたら、相手の主張の把握 → 証拠の整理 → 解決ラインの設定の3ステップで誠実に対応する。判断に迷ったら、通知が届いたその日に弁護士へ。
あっせんは非公開ですから、うまく使えば、会社の評判を一切傷つけずにトラブルを終わらせられる、会社にとって“使いよう”のある制度です。ただ、もっと言えば、あっせんを申し立てられる前の段階──退職トラブルの火種が生まれた瞬間に手を打つのが一番安い。解雇や退職勧奨の進め方を事前に相談してもらえれば、そもそも紛争調整委員会のお世話にならずに済むケースがほとんどです。月数万円の顧問契約で、労働審判や訴訟に発展したときの数百万円のリスクを防げることも珍しくありません。「怖い通知」を「静かに終わらせるチャンス」に変えるためにも、顧問弁護士と一緒に火種の段階から備えておくことをおすすめします。
※本記事は一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。法令・統計は厚生労働省・労働政策研究・研修機構・e-Gov法令検索の公表資料(2026年8月時点)に基づきます。
← 動画記事一覧へ戻る