「いつかは上場したい」。そう口にする経営者は少なくありませんが、「上場までに何を、どの順番で、何年かけてやるのか」を具体的に描けている方はごくわずかです。上場準備は「書類を出せば審査してもらえる」ものではなく、監査法人の健康診断に始まり、社内体制を上場会社と同じ水準で実際に回し、証券会社と取引所の審査を経て、ようやく上場日を迎える、最低3年がかりのプロジェクトです。
東京証券取引所の上場会社は3,891社(2026年9月4日時点、TOKYO PRO Marketを含む)。日本の企業数約336万者からすれば約0.1%、「1000社に1社」の狭き門です。本記事では動画の章立てに沿って、①どんな会社が上場できるのか、②最初の試練であるショートレビュー、③上場準備の3年間で経営者が直面する現実、④上場後のリアル、⑤知っておくべき注意点──の順に解説します。上場の「仕組みと基準」そのものは、前回の記事もあわせてご覧ください。
参考:日本取引所グループ「上場会社数」/中小企業庁「中小企業・小規模事業者の数(2021年6月時点)の集計結果」
どんな会社が上場できる?──「規模」より「中身」
上場とは、自社の株式を証券取引所で誰もが自由に売買できるようにすることです。誰でも買える商品にする以上、取引所が「この会社の株は投資家に並べて大丈夫か」を審査します。東証にはプライム・スタンダード・グロースの3市場があり、それぞれに株主数や流通株式時価総額などの「形式基準」があります。たとえば新興企業向けのグロース市場は、株主150人以上、流通株式時価総額5億円以上、流通株式比率25%以上、500単位以上の公募などが目安で、利益や純資産の額に関する基準はありません。
ただし、形式基準は言わば「入口の身長制限」です。上場の可否を実際に決めるのは、取引所と主幹事証券会社による実質審査で、企業経営の健全性、コーポレート・ガバナンスと内部管理体制の有効性、事業計画の合理性、企業内容やリスク情報の開示の適切性といった観点から会社の中身を見られます。日常語に直せば、「社長のワンマンではなく組織で回っているか」「お金の流れが帳簿どおりか」「社長の親族や関連会社との取引で会社が損をしていないか」「計画に根拠があるか」です。年商が数億円でも上場できる会社がある一方、規模が大きくても中身が整っていなければ上場できない。これが「どんな会社が上場できるか」の答えです。
参考:日本取引所グループ「上場審査基準概要(グロース市場)」/同「上場審査基準(プライム市場)」/同「上場審査基準概要(スタンダード市場)」
最初の試練は監査法人の「健康診断」──ショートレビュー
上場準備の世界では、上場を申請する年度を「N期」と呼び、そこから逆算して計画を組みます。東証の上場審査では、申請の直前2期間(N-2期・N-1期)について監査法人などによる監査証明が必要です。つまり、上場する年の3年前(N-3期)には監査法人を決め、監査を受けられる状態に会社を持っていかなければなりません。この最初の一歩が、監査法人による「ショートレビュー」と呼ばれる予備調査です。東証も、上場に向けては監査法人や公認会計士の指導を受けながら進めるのが一般的だとしています。
ショートレビューは、会社の健康診断です。会計処理のルールが上場会社の基準に耐えるか、月次決算を何日で締められるか、社内規程や職務分掌が整っているか、労務管理が法令どおりか、社長の親族や関連会社との取引がないか、株主構成に問題がないか──こうした点を数日から数週間かけて調べ、「上場会社として通用しない点」を課題一覧にして返してくれます。多くの経営者にとって、ここが最初の試練です。「創業以来ずっとこうやってきた」というやり方に、初めて第三者から赤ペンが入るからです。
POINT:ショートレビューは「落とす」ためではなく「直す時間を確保する」ためのもの
指摘された課題は、次の期(N-2期)から本番の監査と体制の実運用が始まる前に直しておく必要があります。指摘が多いほど、上場は遠のくのではなく「準備開始が早くて良かった」と考えるべきステップです。
参考:日本取引所グループ「上場スケジュール」/同「上場関係者と役割」/日本公認会計士協会「株式新規上場(IPO)のための事前準備ガイドブック」
上場準備の3年間──経営者が直面するリアルなスケジュール
ショートレビューを終えた後の3年間は、おおむね次のように進みます。
- N-3期:監査法人の選定とショートレビュー。指摘事項の是正計画づくり。管理部門の責任者(CFO・経理責任者)の確保
- N-2期:監査法人の本監査が始まる(監査証明1期目)。社内規程・職務分掌・内部監査・取締役会運営など、上場会社と同じ管理体制を「本番運用」する。主幹事証券会社を選び、資本政策や社内体制について助言を受ける
- N-1期:監査証明2期目。主幹事証券会社の引受審査。上場申請書類(「Ⅰの部」「Ⅱの部」)の作成。株主名簿の管理を委託する株式事務代行機関(信託銀行など)の選定
- N期:取引所へ上場申請。東証の審査(グロース市場は2か月)を経て上場承認、公募・売出しを行い、上場日を迎える
この3年間で経営者が直面する試練は、大きく3つあります。1つ目は「社長の権限を手放すこと」です。上場会社では、重要な意思決定は取締役会で議論して決め、議事録に残します。社長の一存で決めていた投資や人事、取引先の選定に、説明と根拠が求められるようになります。2つ目は「過去の整理」です。契約書が交わされていない取引、未払い残業代や名ばかり管理職といった労務問題、親族や関連会社との取引、名義だけの株主──こうした過去の積み残しを、審査までにすべて片付けなければなりません。3つ目は「人と時間」です。上場準備と日常業務は同時に進みます。管理部門の人材を採用・育成し、監査法人や証券会社への対応に社長自身の時間を割きながら、本業の成長も止めるわけにはいきません。
そして、自社の努力ではどうにもならない要素もあります。市場環境です。東証の集計では、2025年の新規上場は66社と前年から20社減り、2013年以来の低水準でした。2026年も1〜8月のプライム・スタンダード・グロース3市場への新規上場は22社にとどまっています。株式市況が冷え込むと、会社に問題がなくても「今上場したら安値がつく」として延期になる。上場準備は、ゴールの日付を自分で決められないプロジェクトでもあるのです。
参考:東京証券取引所 上場部「2025年の新規上場の状況」(2026年1月14日)/日本取引所グループ「最近のIPOの状況」(2026年9月1日更新)
上場後のリアル──「ゴール」ではなく「開かれた経営」の始まり
上場日はゴールではありません。むしろ、義務とコストが本格的に始まる日です。上場会社は金融商品取引法により有価証券報告書などの継続開示義務を負い、金商法24条の4の4に基づく内部統制報告書(いわゆるJ-SOX)を毎年提出しなければなりません。「決算の数字が合っている」だけでなく、「数字を作る社内の仕組みがごまかせない状態になっている」ことを、毎年、体制ごと点検して報告する制度です。取引所のルールに基づく適時開示や、コーポレートガバナンス・コードへの対応も加わります。
コストも続きます。東証の年間上場料は上場時価総額に応じてプライム市場で96万円〜456万円、グロース市場で48万円〜408万円(いずれもTDnet利用料12万円を別途加算・税抜。グロース市場は上場後3年間は半額)。これに監査報酬、株式事務代行機関への委託費、開示書類の作成費、IRや内部監査の人件費が重なり、上場を維持する固定費は年間で数千万円規模になることも珍しくありません。さらに、株主は会社の持ち主です。上場すればグロース市場でも150人以上の株主に対して説明責任を負い、配当や株価への期待に応え続ける必要があります。グロース市場は上場後も守るべき「上場維持基準」が2030年3月以降、「上場5年経過後に時価総額100億円以上」へ引き上げられることも決まっています。上場とは、「自由な経営」と引き換えに「開かれた経営」を選ぶことなのです。
参考:e-Gov法令検索「金融商品取引法」(24条の4の4)/日本取引所グループ「上場後の料金(年間上場料)」/同「グロース市場の上場維持基準の見直し等について」(2025年9月26日)
知っておくべき注意点──上場を目指す前に確認したい3つ
注意点①:IPOは「目的」ではなく「手段」。上場で得られるのは、大きな資金調達、社会的信用、採用力です。それが自社の成長戦略に本当に必要かを、銀行借入やM&A、非上場のままの外部出資と並べて比べてください。
注意点②:維持コストと義務に耐える利益体力を、数字で確認する。年間数千万円規模の固定費と管理部門の増員を負担してなお、成長投資ができるか。夢ではなく数字で判断します。
注意点③:「直前にまとめて直す」は3年では済まない。ショートレビューで指摘される項目──契約書の締結、労務管理の法令適合、親族取引の整理、議事録や帳簿の整備──は、実はそのまま「会社を守る経営」の項目です。上場するかどうかを今決める必要はありません。ただ、「上場もできる会社」にしておくことは今日から始められます。上場審査で見られる項目は、M&Aで会社を売るときに買い手が行うデューデリジェンスの項目ともほぼ共通です。日頃から整えておくことは、上場の土台であると同時に、会社の値段そのものを上げる投資でもあります。
まとめ
- 上場できるかどうかを決めるのは会社の「規模」ではなく「中身」。グロース市場に利益基準はなく、審査で見られるのは組織経営・内部管理体制・親族取引の整理・事業計画の根拠
- 上場準備は最低3年。直前2期間の監査証明が必要なため、N-3期に監査法人の「健康診断」であるショートレビューを受け、N-2期から上場会社と同じ体制を本番運用する。経営者の試練は「権限を手放す」「過去を整理する」「人と時間を確保する」の3つに加え、自分では選べない市場環境
- 上場後は有価証券報告書・内部統制報告書(J-SOX)などの義務と、年間上場料や監査報酬などのコストが続く。IPOは手段として数字で判断し、目指すかどうかにかかわらず「上場もできる会社」に整えておく
上場準備で問われる契約・労務・ガバナンスの整備は、日常の顧問業務として少しずつ進められます。ショートレビューで赤ペンが入る前に、顧問弁護士と一緒に自社の「健康診断」をしておくことが、将来の選択肢と足元の安全の両方を守ります。
※本記事は一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。上場基準・料金・統計は日本取引所グループ・中小企業庁の公表資料(2026年9月時点)に基づきます。
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