「あいつは優秀だ。数字も出すし、報告も早いし、こちらの意図をすぐ汲んでくれる」──社長がそう評価している社員の下で、なぜか若手が次々と辞めていく。退職理由を聞いても「一身上の都合」「キャリアアップのため」としか言わない。こうした相談は、弁護士のもとにも少なくありません。しかも多くの場合、社長は最後まで「あの人が原因だ」とは気づかず、辞めていった側を「根性がない」「最近の若い人は」と評価してしまいます。
数字で見ると、日本の会社では毎年働く人のおよそ7人に1人が職場を去っています(厚生労働省「令和6年雇用動向調査」離職率14.2%)。そして、労働局などに寄せられる相談で14年連続の最多となっているのが「いじめ・嫌がらせ」です(令和7年度55,614件)。さらに厚生労働省の実態調査では、パワハラを受けた労働者が取った行動で最も多いのは「何もしなかった」であり、会社側の対応も「特に何もしなかった」が53.2%で最多でした。つまり、部下を追い詰める上司がいても、その情報は社長のところまで上がってこない構造になっているのです。本記事では動画の章立てに沿って、①なぜ社長には見えないのか(評価制度の重要性)、②出世させると危ない社員の特徴7選、③最悪な組み合わせと法的リスク、④気づいたときの対処、⑤予防策──の順に解説します。
参考:厚生労働省「令和6年雇用動向調査結果の概要」/厚生労働省「令和7年度個別労働紛争解決制度の施行状況」/厚生労働省「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査 結果概要」(2024年5月17日)
1. なぜ社長には見えないのか──評価制度の重要性
社長が日常的に見ているのは、社員の「上向きの顔」です。会議での発言、社長への報告、担当部署の数字。これらはすべて、本人が社長に見せようとしている面です。一方で、その社員が部下にどんな言葉を使い、どんな詰め方をし、部下の失敗をどう扱っているかは、社長の目にはほとんど入りません。部下は上司を飛び越えて社長に直訴することを恐れますし、直訴したところで「あいつは優秀だ」と信じている社長には届きにくいからです。
ここで決定的な意味を持つのが評価制度です。評価が「社長の印象」と「担当部署の数字」だけで決まる会社では、社長に良く見せることと数字を作ることに長けた社員が、部下を犠牲にしてでも出世していきます。逆に、部下の定着率や育成の実績、部下からの評価、相談窓口に寄せられた声といった「下からの情報」を評価に組み込んでいる会社では、この種の社員は昇進の手前で止まります。評価制度は給与を決めるための道具ではなく、「社長の目が届かない場所で何が起きているか」を社長に届けるための仕組みなのです。
法律の観点からも、評価基準を文書化しておくことには意味があります。問題が発覚した後に配置転換・役職の解任・降格といった措置を取る場合、その措置が合理的なものだったかが争われます。あらかじめ評価基準に「部下の育成・定着」が明記され、それに基づいて評価してきた記録があれば、措置の合理性を説明しやすくなります。
2. 出世させると危ない社員の特徴7選
それでは、社長からは優秀に見えるのに、部下がどんどん離職していく社員には、どのような特徴があるのでしょうか。弁護士として労務トラブルの相談を受ける中で、繰り返し目にする特徴を7つ挙げます。
- 社長の前と部下の前で態度が違う。上には従順で腰が低く、下には高圧的。社長がその場を離れた瞬間に口調が変わる社員は、社長の評価と部下の評価が最も乖離するタイプです
- 手柄は自分のもの、失敗は部下のせいにする。成功した案件は「私が仕切りました」、失敗した案件は「担当者のミスです」。社長には常に有能に見えますが、部下は「この人の下で頑張っても報われない」と学習します
- 部下を育てず、仕事も情報も抱え込む。「自分がいないと回らない」状態を意図的に作り、社長に対する存在価値を高めます。部下は成長の機会を奪われ、優秀な人から順に辞めていきます
- 数字は出すが、その出し方が見えない。部下への長時間労働の強要、サービス残業の黙認、達成できない目標の押しつけで数字を作っているケースです。社長には「結果を出す人」に見えますが、実態は労働時間管理と割増賃金の問題を積み上げています
- 悪い情報を握りつぶし、社長に上げない。部下からの不満やクレーム、ヒヤリハットを自分のところで止めます。社長には「問題のない部署」に見えますが、実際は問題が見えなくなっているだけです
- 「指導」の名目で人格を否定する叱責をする。「だからお前はダメなんだ」「給料泥棒」といった発言、人前での長時間の叱責、特定の部下を無視する・仕事を与えないといった行為は、厚生労働省の指針が示すパワハラの典型類型(精神的な攻撃・人間関係からの切り離し・過大な要求・過小な要求など)に当たります
- 部下の離職を「本人の問題」で片づける。「彼はうちには合わなかった」「メンタルが弱かった」。辞めた理由を語らせず、次の採用を要求します。離職が続いていること自体を「その部署の異常」として捉える視点が、社長の側にも欠けていることが多いのです
参考:厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」(パワーハラスメントの定義・6類型)
3. 最悪な組み合わせ──数字だけを見る社長 × 上にだけ強い社員 × 声を上げられない職場
こうした社員が一人いるだけで会社が壊れるわけではありません。危ないのは「組み合わせ」です。動画でもお話ししていますが、最悪なのは、①数字と報告だけで人を判断する社長、②上にだけ強い社員、③部下が声を上げられない職場──この3つが揃ったときです。社長はその社員をますます引き上げ、社員はますます部下を締めつけ、部下は黙って辞めていく。誰も止める人がいないまま、離職の連鎖が続きます。
この状態が続くと、離職だけでは済まなくなります。法律の観点から整理すると、次のようなリスクが会社に降りかかります。
- パワハラ防止措置義務違反。労働施策総合推進法30条の2により、中小企業を含むすべての事業主は、パワハラについて相談体制の整備など雇用管理上必要な措置を講じる義務を負っています。「相談窓口はあるが機能していない」「相談しても社長がその上司をかばう」という状態は、義務を果たしているとはいえません
- 安全配慮義務違反と使用者責任。会社は労働者の生命・身体の安全に配慮する義務を負い(労働契約法5条)、従業員が業務に関して他人に損害を与えた場合には会社も賠償責任を負います(民法715条)。部下がメンタル不調で休職・退職に至った場合、その上司の言動を会社が放置していたことが、会社自身の責任として問われます
- 未払い残業代の請求。数字を作るために部下に無理をさせていた場合、辞めていった部下から在職中の未払い割増賃金をまとめて請求されることがあります。この構造は「本音の退職理由を知っていますか?社員が辞める本当の理由TOP5」で解説したとおりです
- 「名ばかり管理職」の問題。優秀に見える社員を管理職に昇進させて残業代の対象から外しても、労働基準法41条2号の「管理監督者」に当たるかは実態で判断されます。権限も裁量も待遇も伴わない昇進は、残業代リスクを増やすだけです。詳しくは「幹部候補の見極め方と『名ばかり管理職』の残業代リスク」をご覧ください
参考:e-Gov法令検索「労働施策総合推進法」(30条の2)/e-Gov法令検索「労働契約法」(5条)/e-Gov法令検索「民法」(715条)/e-Gov法令検索「労働基準法」(41条)
POINT:「優秀だから」は、放置していい理由にならない
数字を出す社員を失うことを恐れて問題を先送りにする社長は多いのですが、その社員一人が出す数字と、辞めていった部下の採用・教育コスト、そして法的リスクを天秤にかければ、答えは明らかです。しかも、辞めた部下が労働局や弁護士に相談した時点で、「知らなかった」は通用しません。
4. 気づいたときの対処──いきなり降格・解雇はできない
「うちにも心当たりがある」と感じた社長が次にやりがちなのが、感情的に「降格だ」「クビだ」と動いてしまうことです。しかし、これまで「優秀」と評価してきた社員をいきなり処分すれば、今度はその社員との間で紛争になります。対処は順番が大切です。
- 事実確認と記録。部下へのヒアリング(本人の上司を通さないルートで)、退職者への聞き取り、メール・チャットの確認を行い、日時・内容を記録します。噂や印象ではなく、事実を積み上げます
- 本人への注意・指導。確認できた事実を示して改善を求め、面談記録を残します。ここで改善すれば、それが最良の結果です
- 配置転換・役職の見直し。改善が見られなければ、部下を持たないポジションへの異動や役職の解任を検討します。人事権に基づく措置と懲戒処分としての降格は法的な性質が異なり、就業規則の根拠や手続の要否も変わるため、事前に確認が必要です
- 懲戒処分。ハラスメントの事実が確認できた場合は、就業規則に基づく懲戒処分を検討します。懲戒は、行為の性質・態様に照らして客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当でなければ無効です(労働契約法15条)
- 解雇は最後の手段。解雇には客観的に合理的な理由と社会的相当性が必要で(労働契約法16条)、それまでの指導・処分の積み重ねがなければ無効と判断されやすくなります。「優秀」と評価してきた人事記録が残っている社員であればなおさらです
5. 予防策──社長の目が届かない場所を「仕組み」で見る
こうした社員を昇進させてしまわないために、そして昇進させてしまった後に早く気づくために、弁護士としておすすめする予防策は次の5つです。
- 評価項目に「部下の定着・育成」を入れる。部署ごとの離職率、部下の昇格実績、部下からの評価を、数字と同じ重みで評価します。「部下が辞める部署の長は評価が下がる」というルールが明文化されているだけで、行動は変わります
- 退職者面談を社長または人事が直接行う。直属の上司を通さずに退職理由を聞く場を必ず設けます。本音が出ないことも多いですが、同じ部署から続けて退職者が出れば、それ自体がサインです
- 相談窓口を「上司ルート」と切り離す。パワハラの相談窓口が直属の上司や社長直轄しかない会社では、部下は使えません。外部窓口や人事担当者への直接ルートを用意し、相談者への不利益取扱いの禁止(労働施策総合推進法30条の2第2項)を周知します
- 管理職に「やってはいけないこと」を教える。本人に悪気がなく、自分が受けてきた指導を再生産しているだけのケースも多いのです。ハラスメントの具体例は「日常業務に潜むハラスメント事例を完全網羅」で解説しています
- 人事制度と就業規則を弁護士と点検する。評価基準、降格・配置転換の根拠規定、懲戒規定、相談窓口の運用が揃っているかを平時に確認しておけば、いざというときに「動けない」事態を避けられます
まとめ
- 社長に優秀に見える社員と、部下から見た上司の姿は別物。評価が社長の印象と数字だけで決まる会社では、「上に強く、下に冷たい」社員が出世し、部下は黙って辞めていく。パワハラを受けた人の最多の行動は「何もしなかった」であり、その情報は社長には届かない
- 出世させると危ない社員の特徴は、上下で態度が違う・手柄は自分で失敗は部下・部下を育てず抱え込む・数字の出し方が見えない・悪い情報を止める・指導名目の人格否定・離職を本人の問題にする、の7つ。最悪なのは「数字だけを見る社長」と「声を上げられない職場」との組み合わせ
- 放置すればパワハラ防止措置義務違反、安全配慮義務違反・使用者責任、未払い残業代、名ばかり管理職の問題が会社に降りかかる。対処は事実確認→指導→配置転換→懲戒→解雇の順で、いきなりの処分は逆に紛争を招く。予防は評価項目・退職者面談・相談窓口・管理職教育・人事制度の点検
「あの人は優秀だから」という一言で見過ごしてきた問題は、辞めていった部下の数だけ会社に蓄積しています。人事評価の項目一つ、相談窓口のルート一つを変えるだけで、社長の目に入る情報は大きく変わります。自社の評価制度や就業規則がこうした事態に対応できる形になっているか、顧問弁護士と一緒に一度点検してみてください。
※本記事は一般的な情報提供を目的として作成したものであり、個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。法令・統計は厚生労働省・e-Gov法令検索の公表資料(2026年9月時点)に基づきます。
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